大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)168号 判決

上告人

牧野一郎

長谷屋真弓

牧野勇

石田千明

右四名訴訟代理人弁護士

加藤猛

被上告人

日本赤十字社

右代表者社長

山本正淑

右訴訟代理人弁護士

成田清

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人加藤猛の上告理由について

一  本件訴訟は、胆のう癌により死亡した牧野和子の遺族である上告人らが、被上告人の開設する名古屋第二赤十字病院の折戸悦朗医師が和子を胆のう癌の疑いがあると診断したのにその旨を本人又はその夫である上告人牧野一郎に説明しなかったことが診療契約上の債務不履行に当たると主張して損害賠償を請求するものであるところ、原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  和子は昭和五八年一月三一日、上腹部痛のため名古屋第二赤十字病院を訪れ、内科各科への振分けを目的とする一般内科を受診した。一般内科の村島謙医師は同日、同女を診察して胆石症を疑い、放射線科で超音波検査を受けた後に一般内科を受診するように指示した。放射線科の遠山医師は同年二月九日、超音波検査により同女には胆のう腫瘍の疑いがあると診断した。一般内科の宮井宏暢医師は同月一四日、同女を診察し、超音波検査の結果によりこれを消化器内科に振り分け、放射線科でコンピューター断層撮影を受けてその結果を消化器内科で聞くように指示した。放射線科の遠山医師は同月二八日、コンピューター断層撮影により同女を印象として胆のう癌と診断した。

2  消化器内科の折戸医師は、同年三月二日、外来で訪れた和子を初めて診察し、前記診察及び検査の結果をも考え併せて胆のうの進行癌を強く疑い、同女を入院させて精密な検査をした上で確定診断と治療方針の決定をする必要があると判断したが、同女の性格、家族関係、治療方針に対する家族の協力の見込み等が不明であり、右の疑いを本人に直接告げた場合には精神的打撃を与えて治療に悪影響を及ぼすおそれがあることから、和子本人にはこれを説明せず、精密な検査を行った後に同女の家族の中から適当な者を選んでその結果及び治療方針を説明することにした。

3  折戸医師は同日、和子に対し、「胆石がひどく胆のうも変形していて早急に手術する必要がある。」と説明して入院を指示したが、同女が同月二二日から二八日までシンガポールへ旅行する予定であること、仕事の都合及び家庭の事情などを理由に強い口調で入院を拒んだため、胆のうも変形し手術の必要な重度の状態にあるから、仕事の都合を付け家族とも相談した上で入院できる態勢を整える必要がある旨を告げ、なお粘り強く入院を説得した。その結果、同女がシンガポール旅行後に入院するというので、折戸医師はやむを得ずこれに同意し、入院の手続のため同月一六日に来院することを同女に約束させた。

4  和子は、同月一六日、折戸医師の診察を受けて同年四月一一日以降速やかに入院する旨の予約手続をしたが、同年三月一八日、同医師に相談することなく、電話で応対した看護助手に対して家庭の事情により入院を延期する旨を伝えた。

5  和子は、予定通りシンガポールへ旅行し、帰国後も折戸医師に連絡を取らず医師の診察を受けずにいたところ、同年六月病状が悪化して愛知県がんセンターに入院し、胆のう癌と診断されて治療を受けたが、同年一二月二二日死亡した。

6  なお、昭和五八年当時医師の間では、患者に対して病名を告げるに当たっては、癌については真実と異なる病名を告げるのが一般的であった。

二 右認定事実によれば、折戸医師にとっては、和子は初診の患者でその性格等も不明であり、本件当時医師の間では癌については真実と異なる病名を告げるのが一般的であったというのであるから、同医師が、前記三月二日及び一六日の段階で、和子に与える精神的打撃と治療への悪影響を考慮して、同女に癌の疑いを告げず、まずは手術の必要な重度の胆石症であると説明して入院させ、その上で精密な検査をしようとしたことは、医師としてやむを得ない措置であったということができ、あえてこれを不合理であるということはできない。

もっとも、和子が折戸医師の入院の指示になかなか応じなかったのは胆石症という病名を聞かされて安心したためであるとみられないものでもない。したがって、このような場合においては、医師としては真実と異なる病名を告げた結果患者が自己の病状を重大視せず治療に協力しなくなることのないように相応の配慮をする必要がある。しかし、折戸医師は、入院による精密な検査を受けさせるため、和子に対して手術の必要な重度の胆石症であると説明して入院を指示し、二回の診察のいずれの場合においても同女から入院の同意を得ていたが、同女はその後に同医師に相談せずに入院を中止して来院しなくなったというのであって、同医師に右の配慮が欠けていたということはできない。

三 次に、和子に対して真実と異なる病名を告げた折戸医師としては、同女が治療に協力するための配慮として、その家族に対して真実の病名を告げるべきかどうかも検討する必要があるが、同医師にとっては、和子は初診の患者でその家族関係や治療に対する家族の協力の見込みも不明であり、同医師としては、同女に対して手術の必要な重度の胆石症と説明して入院の同意を得ていたのであるから、入院後に同女の家族の中から適当な者を選んで検査結果等を説明しようとしたことが不合理であるということはできない。そして、前記認定事実によれば、和子がその後に折戸医師に相談せずに入院を中止したため、同医師が同女の家族への説明の機会を失ったというのであるから、結果として家族に対する説明がなかったとしても、これを同医師の責めに帰せしめることは相当でない。

四 およそ患者として医師の診断を受ける以上、十分な治療を受けるためには専門家である医師の意見を尊重し治療に協力する必要があるのは当然であって、そのことをも考慮するとき、本件において右の経緯の下においては、折戸医師が和子及び上告人牧野一郎に対して胆のう癌の疑いがある旨の説明をしなかったことを診療契約上の債務不履行に当たるということはできない。

以上と同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、すべて採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾崎行信 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)

上告代理人加藤猛の上告理由

第一、原判決は、医師が患者乃至はその家族に対して負担する、病気の内容、当該病気に対する治療方法、期待される治療効果、治療に際し予測される危険を具体的に説明する義務(以下説明義務という)につき、説明義務の履行の時期・程度・方法は、医師の裁量の範囲内のこととして説明義務を空洞化したうえ、本件において訴外折戸悦朗医師が、和子に対し具体的になした行為、即ち病名につき胆石症である旨告げた行為と早急に入院するよう勧めた行為につき、「ある時代においてその当時の大多数の医師が相当であると考えていた考え方に従って、この説明義務の履行をした場合においては、たとえその後の社会的意識の変化を前提として見るときは、その履行の仕方が不相当と考えられるような場合においても」違法とはいえない旨判示し、上告人らの控訴を棄却したが、これは後記の通り、憲法第一三条、第二一条一項に違背すると共に、民事訴訟法第三九五条一項六号に違反し、判決に理由を附さない違法があり、破棄さるべきものである。

第二、一、医師と患者の関係は所謂診療契約のそれぞれの当事者であつて、その診療契約により医師が患者に対し負担する義務は、次に記載の通りである。

1、和子の病気の原因及び病状を解明すること。

2、解明された病状に対し、時宜をえた適切な治療をすること。

3、前記説明義務。

二、一般の私的な契約、例えば売買契約にしても、その当事者である売主と買主は対等であり、これが原則であるところ、例外的に、契約当事者が対等でない契約が存在する。土地・建物の賃貸借契約あるいは雇用契約などがその例であって、契約当事者が対等でない場合、国は立法その他の手段により、所謂弱者を保護している。借地法、借家法、労働基準法などである。

ところで、診療契約の当事者である医師と患者の関係であるが、これも

1、病気を治す術は、医師がこれを独占していて患者にはなく、一度病気になれば、医師の治療を受ける以外、患者には他に方法がないこと。

2、当該患者の病気に関する情報は、医師がこれを独占していて、患者は、医師から説明を受ける以外に、自己の病気に関する情報を入手する手段を有していないこと。

右のことから、その関係は全く対等ではなく、患者は正に弱者の立場に置かれているものである。従って国に対しては、立法その他の手段により、弱者である患者を保護することが期待され、国の司法の判断である判決に対しても、患者の保護に対する十分な配慮が期待され、万一判決においてその配慮が欠けた場合、患者の基本的人権は重大な危機に晒されることになるものである。

第三、憲法第一三条の違背について。

一、憲法第一三条に規定されている「すべての国民は、個人として尊重される」を診療契約についていえば、患者が治療を受けるか否か、受けるとすればどのような治療を受けるか(薬で治すか手術を受けるかなど)を、医師が決めるのではなく、患者自身で決定すること、即ち患者が自己決定権を享有することであり、これが個人として尊重される所以である(仮に医師が、患者の治療に関する決定をなすとすれば、もはや当該患者は、人間として扱われているとはいい難いものである)。そうしてこの自己決定権を享有するには、当然のことながら、自己の病気が何であるか、その病気に対しどのような治療方法があるか、その治療を受けた場合の、期待される治療効果、予測される危険に関する情報を知る権利(以下知る権利という)を、患者が享有すること(医師の側からいえば、説明義務の履行)が前提とされるものである。

二、ところで、この患者の自己決定権、その前提としての知る権利の享有(医師の側からいえば説明義務の履行)は、前記の通り明確に診療契約の内容になっているのであるから、医師が説明義務さえ尽くせば、患者の知る権利は充たされ、患者は自己決定権を享有・行使できるものである。そうして自己決定権は、それを享有・行使しても、国、社会あるいは他の個人の利益・権利と衝突することがないもので、公共の福祉による制限も考えられず、正に侵されることのない、制限されることのない基本的な人権のはずである。

三、ところが原判決は、診療契約の内容中説明義務については、これを素直に解することなく、医師に自由裁量の余地を認めて、これを全く空洞化してしまっている(説明義務を履行した場合、患者に精神的打撃・動揺を与え、治療に悪影響を与える虞があるというのが、自由裁量の余地を認める唯一の根拠であるが、(1)それも、医師のみが考えていることであって、そのような考え方の生成過程に、肝心の患者は全く関与していないこと、(2)医師は、現実には説明義務を履行していないのであるから、実際に治療に悪影響を与えるか否かを知らず、従って単に経験したことのないことえの恐怖・それからの逃避との面が多々あると考えられること、(3)説明義務の履行を実践している原審証人近藤誠は、治療にいい影響を与えており、悪影響は全くない旨証言していることから、右根拠は全く理由のないものである)。弱者である患者に保護を与えるどころか、強者である医師に更に武器を与えるもので、およそ本末転倒である。説明義務をこのように解釈すれば、患者は、自分がいまどのような病気に罹っているのかも判らず、従って治療方法も選択できず、正に医師のいいなりになるしか仕方のない立場に置かれることになり、これでは医師への隷属を余儀なくされるのみで、個人として尊重されているとは到底いえないものである。

四、前記の通り、医師と患者の関係は強者と弱者の関係である。従って、憲法第一三条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする」の規定から、国には弱者である患者の保護が期待される。それが何等かの立法によりなされれば、それに越したことはないが、それを直ちになすことは困難であるとしても、例えば甲第二五号証四枚目裏に記載されている「患者の権利章典」に類するものを設けるよう、関係機関を積極的に指導すべきであると共に、国の司法の判断である判決においても、患者が個人として尊重されるよう、即ち患者が、自己決定権、その前提としての知る権利を享有・行使できるよう、その方向に副った判決をなすべきであるのに、そうして第一審判決は、不十分ではあるものの、患者の自己決定権を認め、右方向への僅かながらの兆しを見せていたにも拘らず、恐らくは、患者に自己決定権を認めることと、医師に自由裁量の余地を認めることが理論的に矛盾することであると理解したものと考えられるが、原審においては、わざわざ第一審判決二〇枚目の裏三行目など、患者が自己決定権を有するとの部分を削除しており、正に遺憾の極みである。

五、以上述べた通り、診療契約中説明義務につきこれを誤って解釈し、患者の自己決定権、その前提としての知る権利を否定した原判決は、憲法第一三条に違背し破棄さるべきものである。

第四、憲法第二一条一項の違背について。

患者は個人として尊重されなければならず、このことは、患者が自己決定権を享有・行使できること、その前提として知る権利を享有・行使できることを意味するものであることは、前項で述べた通りであり、又憲法第二一条一項の所謂表現の自由の規定は、国民の「知る権利」も保障したものである(昭和四四年(し)第六八号事件に対する御庁の同年一一月二六日付決定)。ところで、一般に国民の知る権利は、国民には情報を収集する術がなく、一方国(就中行政機関)あるいは報道機関は、膨大な情報を常に収集し保有していることから、国民の行政機関・報道機関に対する関係で述べられるが、医師と患者の関係も、右と全く同様である。即ち当該患者の病気に関する情報は、医師がこれを独占していて、患者は、医師から説明を受ける以外に、自己の病気に関する情報を入手することができないからである。

このような関係にある医師と患者においては、患者が自己決定権、その前提としての知る権利を享有・行使するために、医師に対する関係において、知る権利が認められるのは当然のことと考えられる。原判決は、医師に自由裁量の余地を認め、患者のこの基本的な人権を否定したものであり、憲法第二一条一項に違背し破棄さるべきものである。

第五、判決に理由を附さない違法(民事訴訟法第三九五条一項六号違反)について。

原判決は前記の通り、ある時代においてその当時の大多数の医師が相当であると考えていた考え方(以下この「考え方」を便宜所謂医師の考え方という)に従って、この説明義務を履行した場合においては、責任は問えないと判断し、所謂医師の考え方が、患者の知る権利の内在的制約をなすもの、あるいは例外をなすものとして位置付けられている。ところでこれは、診療契約の中の説明義務の解釈としてなされているが、およそ契約を解釈する場合は、契約両当事者の利害得失を慎重に考慮して公平になすべきであるところ、その生成過程に、患者の同意も意向の加味も全くなされず、患者不在のところで、医師のみが一方的に作り上げてきた所謂医師の考え方が、何故契約解釈の一つの判断材料となりうるのか、この点について原判決には何も説明がなされていない。所謂医師の考え方を是認すれば、患者の知る権利に対し重大な影響を与えるのであるから、上告人らが納得できるよう説明すべきであるにも拘らず、この点につき説明のなされていない原判決には、判決に理由を附さない違法があり、破棄さるべきものである。

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